太田区の持ち家に長年住んでいた義父の葬儀に出席した時の様子

仕事現役の義父が急に亡くなった

大田区 葬儀 / 世田谷区 葬儀

仕事現役の義父が急に亡くなった | お寺で行われた葬儀に感銘を受けた | 昔ながらの葬式が素晴らしかった

夫の父である義父は、太田区にある広い敷地に建つ一戸建ての持ち家に長年住んでいて、近所に古くから住む人たちの中の一部の人たちには幼なじみも多く、子供の頃からの長い付き合いがありました。
そうはいっても、おとなになれば幼なじみであっても進路は大きく異なることがあり、特に大企業の取締役までの地位についた義父の生活は、地域の人たちとの交流が主であるということはなくなっていたようです。
しかしその分、その家に嫁いてきた義母が子育てを通じて地域との交流を絶やすことなく、たくさんの知り合いを作っていきました。
夫は長男だったので将来的にはその家を継ぐことを期待されていて、私にも異論はありませんでした。
けれど私たち夫婦は義母のはからいもあって、新婚時代は夫の実家に一緒に住むことはせずに、目と鼻の先にある素敵なアパートを借りて住んでいたのです。
そんなある日、本社から出向して子会社の社長をしていた義父が、突然倒れてしまいました。
普段から健康には気を付けていても、毎日の激務や年齢的な体力の衰えなどには勝てなかったのかもしれません。
そのまま帰らぬ人となり、葬儀は義父が現役中の死亡であったので社葬となりました。

大田区の葬儀で社葬の手伝いを

大田区にある会社の創業時からの大切な人だったという、現役で病気をする前まではよく会社で見かけていた取締役の葬儀を社葬で行いました。私はその時はほんの使いっぱしりでしたが印象に残っています。病気は回復の見込みがないということは噂で聞こえていました。社葬にすることはその頃には決まっていたのだと思います。その時が来た時は葬儀の全ての責任者に上司がなり、その下に何人かの部下が付きました。葬儀会社が決まり、案内を出し参列してくれるであろうおおよその会社関係の人数の確認をし、日程を決め、それにあわせた式場、祭壇を選び、宗教は故人の家が檀家となっている寺となりました。会社関係にはお花や供物は遠慮させてもらう旨もきちんと伝えなければなりませんでした。弔辞を依頼することや、焼香の時に読み上げる順番や、式場で案内をするための位置決めなどがありました。また会葬者への品や令状が準備され、車の手配も多かったです。これまで葬儀には何度か参列したことはあったのですが社葬になるとそれはまさしく儀式でした。ほとんど全ての場面は専門の葬儀社の人達のアドバイスによりスムーズに行われた感じでした。会葬いただいた方のお見送りをした時に良い式だったねと声がけいただいた時はなんだか自分も仕事を終えた感があったのは覚えています。